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この世の終わり?!

聖書にもところどころその兆候が書かれているのだけど、
その記述がまるで今の時代を反映してるのじゃないか?
と思ったことがあります。

クリスチャンの友達に
「もし最後の審判が今きたらどうするの?」
と聞いたら
「喜んで受けるわ。私は自分の行くところが解ってるし。」
と言う人もいれば
「神様は私を選んでくれるかしら?」
と戸惑っている人もいました。

自分は?というと、
選ぶ選ばれないの次元じゃないですよ。
と密に考えてます。

なんで来るか来ないかの「終わり」を
やきもきして待つんですか?
たとえそのときが明日だろうが2012年のある日だろうが、
今この一瞬ではないですよね。
その大切な今を
余計なこと考えて
できることをしないっていう手があるのですか?

だから信者であれば救われるとか
悟っていれば大丈夫とか
手段が問われているのではないと思います。

大切なのは
「じゃ、どうするのか?」です。

自分の状況を考えて3年後にこの世が終わるなら
借金返さないよーっていうのもありでしょうし、
借金してもいいから贅沢をするだけしましょう!
っていうのもありでしょう。
やりたかったことをする、なんてのもありですね。
その行動の基盤となる心なんですよね。

今思うことは
神様と知り合いになれて
洗礼を受けられてよかったということです。
子供と旦那とギクシャクしながらやってるけど
一生懸命自分の「愛」を伝えてます。
返ってきているかは???なところもありますが。

ちょっと脱線しちゃいましたが、
要はこの一瞬をどう思って生きているかだと思います。
だって、それが積み重なって「明日」というときに流れるのですから。
時間という半ば強制された現実(forced reality)に
生きとし生けるものの姿。
悩むというのが生のあるSinでありカルマなんでしょう。
これがお釈迦様もいっている苦なんだと思います。
「知る」という行動に付随してきたものだと思います。
悩む、苦しむというのは心があるから。
でもその心の裏側ができることは
「愛する」ことです。
それを表に出していくのが
神様に創造された人間の役割だと思います。

長い文章に付き合ってくれてありがとうございます。
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テーマ : なんとなく書きたいこと。。
ジャンル : 日記

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