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神様と自分

信者になる前に教会でのTestimonyや
洗礼のための勉強会で
よく
「神様は語ってきたか?」と聞かれました。

そんなVividな体験のない私は
???と思い、
そんなことあるのかな?とびびってました。

「手術を受けるときに僕の手を握っていてくれた」
という人もいれば、

ある牧師さんは
「お祈りを必死にやった翌日に
すっと神様が自分の中に入ってきたんだよ。
それ以来自分は変わったね。」
と得々として語ってくれました。

私はそんな体験はしたことなかったです。
神様が直接私の耳に語ったこともなければ
姿をみたなんて大それたこともありませんでした。

なんでなんでなんで?
自分が心を開いてないからとか
まだまだ心の中に自分すら気づいてない葛藤があるからかと
思って探そうとしたりしました。

自分の信仰が足りないんだと卑下しました。

そして、
未だに
そんな体験はありません!!!

でもね、最近気づきました。
神様ってそんなに人間に都合よく
語りかけたり、感じさせてくれる存在ではないのかも?

確かに声をきけたり
姿を見たり
存在を感じられたりすれば
素晴らしい!

だけどそういう体験がなければ
神様を知ることができないというのであれば
そうではないってこと。

神様はいます。
いろんなところで
サインを置いていってくれてます。
それを神様の教えとして
自分が讃えられるかどうかが
私たちのするべきことで

「神様の声を聞く」
「姿を見る」
「神様を自分に感じる」
などということはおまけみたいなもの。
こういうことはファッションみたく
扱うべきことではないのでは?

そう思って以来自分の中で
「もしかして信者と自分は呼べないのではないか?」
なんて思い悩まなくなりました。

今の自分のままでいいんですよね!

神様は皆の心のドアを叩いています。
そのときに自分がいなくては
神様をどうやってお迎えすることが
できると思いますか?
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