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認められたい。。。

昔々にGenesisを読んだときに
私はどうして神様はアベルの捧げ物によろこんで
カインの捧げ物は見向きもしなかったのか?
と疑問に思っていました。

「もしかして神様って生き物の捧げ物しか受け取らないの?
じゃ、農作業を選択したカインには不利じゃないの?
どうして?」

と思ってました。

捧げ物事件でカインはアベルのことを疎ましく思って
罪を犯してしまったんですものね。
でも私は次の箇所を読み落としていました。

神様がカインが嫉妬で真っ黒になっているときに言われたことは
「どうしてそんなに怒っている?どうしてそんな顔をしている?
自分がやったことが正しいなら、認められるのではないか?
でももしやったことが正しくないなら、罪がおまえの門前までやってきている。
罪はお前を捕らえようとしている。だけどお前は罪を治めなければならない。」

私が思うに神様は
「捧げた物」でカインとアベルを見たのではなくて
「捧げた心で」でカインとアベルを見たのではないかと
思いました。

「やったことが正しい」って誰がわかるのでしょうか?
カインの場合
「神様自分のささげ物をみてください!僕は一生懸命汗水流して働いたんだ。
えらいでしょ?認めてください。」
なんて思ったんじゃないかな?と想像をめぐらしたりします。
なのでアベルの捧げ物のほうに神様が目をむけたときに
怒ったんですよね。

私たちはよく第三者に自分の審判をゆだねますが、
カインは神様に自分を正当化してもらいたくて
自分をよく認めてもらいたくて、
自分のささげ物だけをみてもらいたくて、
でもそうしてもらえないことで
自分の努力を不当化されたと思ったんではなかろうか?
どうでしょう?

そもそも自分のした努力って自分で褒めていれば
誰からみられようと構わないじゃないですか?
「xxxさん、よくやった。」
「xxxさん、すごいぞ。」
なんて必要かな?
Genesisという最初の章で神様は人に警告を発しているのでは無いかな
と私は思いましたよ。

Worshipは無心でやるものだ。
自分を正当化する行動ではない、と。

む、むずかしい。
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なるほど~!とうなずきながら読ませていただきました。高校の時宗教の時間(キリスト教の学校でした)に、この話を読んだことがあったのですが、捧げものが生き物じゃなかったからダメなの?ってぼんやり思ってました。
でも、今日のブログを読んで、この話を思い出して、Marmiteさんの解釈に一票です!
捧げものをささげた時の気持ち、これが鍵だったんですね。
日常生活においても、つい認められたい!という気持ちってついつい心に生まれがちですが、
本当に自分が一生懸命やって、後は悔いなし!っていう気持ちになるまで頑張れたのなら、人に評価される必要はないですものね。
このお話、深いな~。
そういえば、最近私のブログにも書いたんですが、この言葉が、このお話にちょっと通じるなって思ったりしました。↓
一生懸命だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳が出る
無心で、努力ができる人になるための努力、それが人生なのかもしれませんね~。
む、むずかしいですね!

Soyaさん

Soyaさんの日記を読ませてもらってなるほどと思いましたよ。いいこと書かれてますね。
無心でやることって難しいですね。
仕事をしていてもどこかで認められたいって思うのが人情ですものね。それが昂じる誰かの足を引っ張ることまではいかなくても嫉妬してしまいがちですからね。
本当に難しいですね。
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